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松前城の寺町で江戸の姿を残す 龍雲院 [寺/神社]

北海道にあった唯一の藩、松前藩。
松前藩の城、松前城の北側を防衛するために寺町が形成されたが、15ヶ寺あった寺町も戊辰戦争の戦火により、現在は5ヶ寺が残るに至っている。

そんな寺町を回ってみた。
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松前城の駐車場に車を停めて、松前城を攻城後に寺町散策に回りました。
前に乗っていた赤のフェーズ1です。

まず向かったのは、龍雲院。

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彫刻が印象的な四脚門の山門。
戊辰戦争時でも焼失せずに、当時のままの姿で堂宇が残るのはこの龍雲院だけ。
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この龍雲院は、松前家7代の公廣の正室の発願で創建された寺院。
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本堂。1842年の建築
木鼻や虹梁、蟇股、小壁の彫刻が印象的。
良くも悪くも派手。
江戸や北関東あたりの寺院を見ている感じで、彫刻師は江戸の職人だったのかな。

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虹梁と軒の間が小壁になっている。
あまり見たことない。

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本堂の右側に併設されている、龍神堂。
1830年に建てられたが、戊辰戦争で破壊されたので、今の堂は1873に再建さてたもの。

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本堂の左側にある庫裏。
1842年の建築。

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袴腰付の鐘楼堂。1846年の建築。
袴腰の高さが低いせいか、ちょっとバランスの悪いですね。。。

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土蔵。鐘楼堂と同じ時期の建築とのこと。

北海道でこれだけの江戸建築の寺院はここだけだと思う。
タグ:北海道
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長谷堂城主の菩提寺 清源寺 [寺/神社]

東の関ケ原とも言われている、長谷堂城の戦い。
直江兼続率いる上杉軍が最上領に侵攻し、山形城の支城である長谷堂城を包囲した戦いであるが、
このときに長谷堂城を守っていたのが、最上家の重臣の志村光安である。
守備兵1000人に対し、上杉兵18000人と10倍以上の兵力差がありながらもよく守りきった。
その志村光安の長谷堂城主時代の菩提寺だったのが、清源寺である。

長谷堂城から赤い楼門が見えて、気になったので行ってみた。

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長谷堂城からは700mくらい離れたところにある。
まっすぐ伸びる参道がいい感じ。

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参道を進むと、六地蔵と四脚門がある。
門をくぐると、

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5間3戸の楼門。
二軒和様の垂木、二手先の尾垂木など、個人的にバランスのいい意匠だと思う。
修築されて間もないのか、朱が綺麗だ。

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本堂。
こちらは非常にシンプル

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蔵形式の建物。
鐘が付いているが、何堂なんだろ?
何か祀っている堂と経蔵が合体しているのかな。

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門前から見た長谷堂城。
そんなに攻城が難しそうな感じはしないのだが。。。。
タグ:山形県
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山形城の大手門が移築されている古刹 萬松寺 [寺/神社]

山形城や長谷堂城を巡った際に最後に立ち寄ったのが、山形市内にある萬松寺である。

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まだ以前の赤のアルファ156に乗っていた頃です。

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駐車場の横にある鐘楼堂。
結構新しいです。

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境内へ向かいます。
この萬松寺は、阿古耶姫が開基と言われている。
阿古耶姫は、藤原鎌足の曾孫の娘で、父が陸奥に着任した際にこの地に来たとのこと。
当時は庵のようなものだったと思うが、かなりの古刹である。

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見たかったのは、この山門。
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現在の山形城の前身である霞城の大手門だったもの。
最上義光が近世城郭としての山形城を築城する際に、こちらに移築されたという。

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かなり改築されていると思われるが、城門としての風格があるが。。。。
保存状態はあまりよくないのと、下半分がかなり貧相で大きな地震があったら倒れそう。

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扁額の文字は、上杉鷹山の師である細井平洲の筆。

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庫裏と客殿。

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庫裏の向かいにある仏殿。
素朴で非常に雰囲気がいい仏殿だと思う。
1750年頃の建築と言われている。

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仏殿の内部。

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虚無蔵菩薩の堂。

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仏殿の裏側にある、実方中将の墓碑と阿古耶姫の墓塔。

このあと市内のホテルにチェックインして、山形に実家がある友人と飲みに行ったよ。
タグ:山形県
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城跡の松平家大名墓群 本光寺 [寺/神社]

島原城に行った際に、そこで入手したパンフを見て気になった寺があったので、行ってみた。

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赤門の藥井門。
ここは、島原の乱の後にこの地を治めた深溝松平家の菩提寺である。
あまり深溝松平氏のことは知らないが、十八松平の1つで、家康の頃には4代目家忠が長篠の合戦で功を挙げたらしい。

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この山門は、6代目の忠房が島原に入封した際に、生母を弔うために建立した浄林寺の山門だったもの。

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本堂。

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本堂の脇には、首無し地蔵。
島原の乱のとき、キリスト教徒によって首をはねられたと伝わっている。

このあたりは、すでに廃城となっていた丸尾城だった地で、反乱の徒が島原城を包囲した際にこの地に立て籠もったという。

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その丸尾城の跡地は松平家の墓所となっており、23基もの大名墓群が圧巻。

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端がクルリンとした「照りむくり屋根」が印象的。
透垣の墓は、扉が開いた状態になっており、これまた珍しい。

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玉垣に囲まれた羅漢窟。
なかなかいい雰囲気。

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中には十六羅漢の石像が並んでいる。

本堂に併設されている資料館には、天井に龍が一面に描かれている「龍の間」や、庭には石の金庫やキリシタン墓石が置かれていて、なかなか見どころ満載です。

このあと高速フェリーで熊本へ向かったよ。


タグ:長崎県
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2017年初詣 広島城郭?編 [寺/神社]

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

2017年の初詣は、広島城の鬼門を守る寺社の1つ国前寺に行ったよ。
こちらは何度か訪問しているが、初詣としては2年ぶり。
以前の訪問時の記事⇒国前寺(広島県広島市)

この国前寺は、広島藩浅野家の菩提寺である国泰寺の「国」と2代藩主浅野光晃の正室満姫の生家である加賀前田家の「前」を取って名付けられた寺。

爆心地から2.6kmで損害は激しかったが、本堂や庫裏、山門は一部破損で、全焼、全損は免れている。

一通り見ていく。
山門。
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近くの不動院の山門と瓜二つ。建築を請け負ったところが同じだったのか、参考にしたのか。

本堂。
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一見城郭建築のような本堂。
どうも藩の城大工が建築したとのことだ。
以前に記事を書いたときには、この事を知らずに近世城郭建築風と記載したが、ある意味正しかったようだ。

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内陣

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内陣右側の仏像。
左は聖徳太子像、右は蛇の目紋から加藤清正像。
真ん中は、じっくり見てなかったので不明。
こちらには鳩摩羅什の木像があるらしいので、それかもしれない。
鳩摩羅什は後秦時代の僧で、300巻もの仏典を漢訳し、中国に仏教を普及するのに貢献した三蔵法師である。

庫裏も本堂と同じ時期の建築と言われている。
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このお寺には、江戸時代の妖怪物語「稲生物怪録」の主人公である稲生平太郎が、妖怪大将である山本五郎左衛門からもらった木槌が寺宝として現存しているのだが、1月7日しか公開しておらず、まだ見れていないです。。。。。

城郭つながりで、もう1か所行ったのが、多家神社。
前に書いた記事⇒多家神社(広島県安芸郡)

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古事記や日本書紀に書かれている、神武天皇が7年間滞在した埃宮(えのみや)跡に創祀された神社。
この神社のある府中町は名の通り、安芸の国府があったところとされ、今ではマツダの本社があり、企業城下町として賑わっているところだ。

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宝蔵。いまでは神輿殿。
広島城三の丸にあった稲荷社から移築されたもので、広島城の遺構としては唯一の現存物件となる。
創建時期は、浅野家が広島に入ったころと言われているので、1620~30年ころか。
校倉造の校子組手が六角形という珍しい形式。
何度かここに訪問しているが、この建築はいつ見ても見とれてます。

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拝殿。
本殿も広島城の稲荷社から移築されていたが、大正4年の火災で焼失し、現在のものは大正11年に再建されたもの。

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本殿
広島城の遺構は、原爆で一瞬で無くなっただけに、火災で焼失したのはなんとも悲しいかぎりだ。
タグ:広島県
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御手洗の大東寺 [寺/神社]

加藤清正が築いたと伝わる石垣に建つ満舟寺の正面に建っているのが、大東寺である。

大東寺は、江戸の中期に御手洗の町人が隠居していた庵が始まりで、その後に堂建てられて登光寺となったが、戦時中に同じ浄土真宗の隆法寺と合併して今に至っている。

ちょっと寄ってみよう。

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山門は藥医門。

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屋根には、毘沙門天?らしき像が、逆側にも違う像があったのだが、そちらは逆光でうまくとれなかった。
大棟の龍が印象的。

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門をくぐって右側にある手水舎。

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本堂。
ちょうど檀家さんがおり、中に上がらせて頂いた。

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外陣に掲げてあった透かし彫り。
これは隆法寺と合併した際に、こちらに移設されたとのこと。

こちらの内陣の龍と三羽の迦陵頻伽の彫刻が有名なのだが、写真を撮るのを忘れてました。
説明を聞いていたら、忘れてました。

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本堂の木鼻の象の手がかわいいです。

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本堂の裏側。
小さな庭園と棟門。

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大東寺の一軒飛ばして建っている、二階のナマコ壁が印象的な古民家。

ほんと歩いていて落ち着くエリアです。
タグ: 広島県
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菅原道真公が手を洗った井戸が残る 天満神社 [寺/神社]

広島県呉市、瀬戸内海に浮かぶ島の大崎下島。
そこには御手洗(みたらい)という古い港町がある。
この御手洗という地名は、

 ・神功皇后が三韓征伐の際に、立ち寄って手を洗った。
 ・菅原道真が、大宰府に流される際に、立ち寄って井戸で手を洗った。

これらに由来しているらしい。

事実はさておき、瀬戸内海航路における重要な場所であったことは事実のようだ。

菅原道真が手を洗ったとされる井戸が、天満神社にあるとのことで、行ってみたよ。

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桜並木になっている参道。
桜の季節がさぞかしきれいなことだろう。
鳥居は石造りの明神鳥居。

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菅原道真の歌碑。
「菅公の歌碑」と呼ばれている。

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筆塚と手水舎。
学問、書道の神、菅公に関連しているのだろう。

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手水は硯の形をしている。
狛犬が手水を支えているのだが、その1匹が腹で支えていて、かわいい。

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御手洗出身で、日本で初めて自転車で世界一周した「中村春吉」の石碑。

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拝殿。
参拝しようと拝殿に近づくと、周辺の桜の木から次々とセミが飛んできてた。
セミの結界のようだった。。。。

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拝殿の右側を回り込むと、この地の名の由来となった菅公の井戸がある。
明治4年に、広島藩の役人の寄進によって、菅公の井戸の傍らに社殿が造営されて、現在の天満神社となったのこと。
現在の社殿は、大正6年に町民の寄進で建てられたという。

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菅公の井戸の横に本殿があるのだが、本殿の下は「可能門」という通路になっており、
この門をくぐると、願い事が1つ叶うという。
神社の本殿の下をくぐるというのは、これまで見たことないです。

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本殿の奥にある建物。
何の建物か不明。かなり気になります。

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天満神社近くにある、藩公認の茶屋である若胡子屋。
全盛期には100名近い芸者や遊女がおり、桜の季節は境内は花見で賑やかだったという。

最近では「ももへの手紙」で、登場している。
タグ:神社 広島県
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伝加藤清正が築いた石垣が圧巻 満舟寺 [寺/神社]

広島県呉市、瀬戸内海にある大崎下島には御手洗町並み保護地区という、江戸風情を残した町並みが残っている。
テレ東の不定期な番組で「充電させてもらえないですか?」という出川哲郎が、電動バイクで途中途中でお店とかにバッテリーの充電をさせてもらいながら旅をするというのがあり、ある回で「今治~厳島神社」までを旅したときに、この町並みに立ち寄ったことで知り、帰省した際に行ってみた。

この港は、江戸時代の廻り船が風待ちや潮待ちするときに立ち寄ることで栄えた町で、明治以降の陸路輸送の発達共に港としての機能は失われたが、戦後の経済発展の中にも残されたおかげで、都市開発の波にのまれることなく、タイムカプセルに入っていたかのように、今に至っているわけだ。

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町並みはこんな感じで、タイムスリップしたよう。
アニメの「ももの手紙」や「たまゆら」にも登場し、そちらの聖地にもなっている。

その中で気になったお寺を紹介するよ。

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満舟寺(まんしゅうじ)。
この城のような石垣が印象的だ。

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豊臣秀吉の四国平定の際に、加藤清正に石垣を整備させたと伝わっている。
寺は、平清盛が上洛する際に嵐に会い、この地で観音様にてを合わせたところ、嵐が止んだとのことで、その観音様を安置して草庵が作られたのが始まりという。
寺として体裁が整ったのは、享保年間で、藩から寺として許可が出たのは寛延年間とのことだ。
もとは観音堂があるところに、水軍の出城っぽい感じで整備されて、出城として機能がなくなってから、寺として再整備されたのだろう。

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参道は最後に90度曲がっているのだが、桝形のようだ。

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観音堂。
こちらの扁額は、琉球使節の中山楽士の梁光地が江戸上りで寄港した際に書かれたもの。
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琉球使節の使者たちは、琉球でも学のあるものが人選されており、書に長けた者も多かったと思われる。
江戸上がりの琉球使節団だけでなく、朝鮮通信使もこちらで、潮待ちをしていたらしいので、寄港時にはさぞかし賑やかだったことだろう。

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境内には、亀趺墓が2基あった。
基部の台座に亀の石像のある墓で、大名墓以外では珍しい墓。
この亀は霊亀で、ちょっとかわいらしい感じです。

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観音堂の左側にある三社神社。

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観音堂の右側に荒神社があるのだが、入り口付近が土砂崩れで立ち入り禁止になっていた。
こういう場合、入らないことにしているので、一礼し後にしました。

アニメでは、石垣の手前にある「通学路」の標識が有名なのだが。。。。
後で知ったので、撮影していませんでした。。。。。
タグ: 広島県
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芸州藩の祈願寺 明星院 [寺/神社]

今年の初詣で広島の寺社を巡った際に、以前訪れたときとかなり変わっていて、気になっていた寺を紹介するよ。

二葉山のハイキングコースから明星院の脇道を通っていると、明星院の脇門が出てくる。
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いつもは参道から行っているので、この門の存在を知りませんでした。

ここから入らず、正面に回って、表参道から参拝します。

この明星院は、毛利輝元が母の位牌堂として建立し、その後広島を治めた浅野氏の始祖の長政夫妻の位牌を安置して、領内の鎮護の為に祈願寺となった寺である。
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江戸期の明星院。
現在の饒津神社と鶴羽根神社も境内に含む、大寺院だったようだ。

以前の明星院の記事
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山門は仁王門。
見ての通り新築の門で、以前訪問した時にはなかった。
こちらの仁王様は、以前それぞれ単独での堂に祀られていたが、その2つの堂が連結されて、
1つの門になった際に、一時門外に保管されていたが、この門ができて本来の場所に帰ってきた。

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仁王様。
全体的に黒く、焦げているようなので、もしかすると被爆したのかもしれない。

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裏側は、鐘楼、手水舎となっている。
鐘は音の広がりという面では微妙な位置だと思うが、とりあえず詰め込んだ、面白い構造だ。

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不動堂。
周辺には不動様の石仏もいっぱい。

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中門は風神・雷神の二天門。
元々は、仁王堂だったものを連結して、このような門になった。
以前来たときは、連結直後だったのか、何も祀られていなかった。

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本堂。
こちらには、原爆で倒壊した義士堂から移された、赤穂義士像が安置されている。

訪問する際は、いつも本堂に上がって、赤穂義士像を見てます。

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内陣の向かって右側は大石芳良雄率いる表門隊、左側は大石主税率いる裏門隊が安置されている。
七福神巡りで賑わっているのだが、この義士像まで見る人は少ないです。

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寺務所前に干支の地蔵像が。。。これも前なかったような。。。。
調べたら平成25年に設置したとのことだが、去年の訪問時には完全にスルーしてしまったようだ。
タグ: 広島県
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小学校の玄関が移築されてる 光明院 [寺/神社]

蓮彌でラーメン食べた後に、世田道を渡ろうとしたら、派手な山門が目に入ったので寄ってみた。
ただ、この周辺は過去に探索済みなのだが、このような寺の記憶がない。

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山門は、唐門式の仁王門。
仁王様は仏像ではなく仏画で、中華獅子が脇に控えている。

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小壁には色鮮やかな羅漢様の彫り物、天井に龍が描かれている。

なぜこのような派手な山門の記憶がないのか。。。。
過去の画像を調べたらわかりました。

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2006年ころの山門・・・かわりすぎ(w
門の両脇の塀も、磨石から木造の透塀に変更されている。
ここはいつも閉まっていた記憶がある。

境内に入ってみる。
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これまた色鮮やかな本堂。

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2006年頃の本堂。
本堂正面の唐破風の向拝は、旧登戸小学校玄関として使用した庇を移設したもの。
この光明院は、明治6年に創設された登戸学者として3年間授業が行われたことから、移築されたとのことだ。

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小壁には四天王像と木鼻には極彩色の獅子。

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本堂の左側には、石仏が安置されている。

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境内の左側にある、太子堂。
登戸は、江戸時代は職人の町として栄えていたらしく、文化年間にこの太子堂が建てられたとのこと。
聖徳太子は仏教を広めるために寺院を多く建立したころから、建築関係の職人には崇められたので、そのようなところの寺院には、よく太子堂が建てられていることが多い。

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こちらは、聖徳太子像が建っているが、堂自体は特に変化なし。

いや~すっかりかわっててビックリしました。


タグ:神奈川県
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