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9か国が管理した台湾の城 紅毛城 [城]

台湾に出張した際に、帰りのフライトまでに時間があったので、
MRTで淡水まで行ってきました。

淡水信義線の終点で、台北から40分くらいで到着。
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淡水駅前には、銅像を演じているパフォーマーがいた。結構有名らしい。

レトロ感満載な町並みを見ながら、
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20分程度歩いて行くと、目的地である「紅毛城」に到着です。

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緑で覆われた門をくぐって、受付で入場料80TWD(1TWD=約3.7円)を払う。
階段を上った小高い丘の上に、紅毛城の主楼が建っている。
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この紅毛城は、1628年にスペインが台湾の支配拠点として築いたセント・ドミンゴ城がはじまり。
その後にオランダがスペインを台湾から追い払い、城を改修。
漢人がオランダ人を紅毛と呼んでいたので、紅毛城と言われるようになったという。
正式名は、アントニー要塞。

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明朝の鄭成功が台湾を反抗の拠点にすべく、オランダ勢力を一掃すると、紅毛城は多少の改修はあったものの、その後の清代もあわせて、拠点としての重要性は低下して、城地は荒れていたという。

重要性が増したのは、不平等条約である北京条約で淡水が開港されてからで、イギリスが租借地としてこの地に領事館を設置してからである。
大東亜戦争がはじまると、日本に接収されるが、戦後にいギリスへ復帰。
イギリスが台湾と断交すると、オーストラリア、アメリカと管理が移行するが、アメリカと断交すると、台湾へ返還された。

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主楼の前には、この紅毛城に関連した9か国の旗が掲げられている。
左より、スペイン・オランダ・鄭氏(明)・清・イギリス・日本・オーストラリア・アメリカ・台湾

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清朝の黄龍旗

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主楼の内部は、ちょっとした資料館になっており、紅毛城の歴史の説明パネルや武具が展示してある。説明は、日本語でも記載してあるので、わかりやすいです。

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イギリス人らしき銅像が数体設置してあった。
壁はイギリス領事館時代に赤くしたとのこと。元は灰色だったらしい。
ただ、赤壁部は最近修築した為、かなりキレイで、古びたレンガ部分とのギャップが大きい。

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主楼の脇には、旧イギリス領事館が建っている。
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2階建ての非常に端正な建築だ。

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主楼と領事館の間には、砲が並べられている。
この砲は、イギリス領事館時代に、オブジェとして並べたらしい。
砲は清朝製からイギリス製と生産国は様々。

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領事館の向こうに見える塔は、真理大学の建物。

領事館の内部やいろいろ
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元の要塞としての城がどのようなものであったか、今の城跡からはよくわからないが、湾を見下ろせこの場所は重要拠点だったのは間違いないだろうね。
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最後に、主楼の前に立っている、バッキンガム宮殿の衛兵風のゆるキャラ。taisui25.jpg
タグ:台湾
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台北城の城門 [城]

台北城は、清朝が日本の勢力が台湾に及ぶのを警戒し、それにより築城された城壁に囲まれた城郭。

日清戦争後に日本統治時代になると、都市整備の為に城壁は破却されていったが、
城門は4個所残されて、現在中華民国の一級古蹟に指定されている。

現存する4個所のうち2個所を見てきたよ。

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総統府を見た後に、南へ進んで、愛国西路と中華一路一段の交差するあたりにあるのが、小南門。

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元は重熙門と呼ばれていた。
楼閣部分は、太平洋戦争後に国民党政府によって、宮殿式楼閣に建て替えられたので、ちょっと派手である。
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このあとは、中華一路を北上して、西門町あたりのブラブラしながら、北門をへ向かった。
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西門町は日本でいう渋谷のような若者の町とのことだが、サブカル度で言えば秋葉原のほうが合っているような。
町名にもなっているが、ここには一番大きくて優雅な城門であった西門があったところ。
古写真を探してみました。
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日本統治時代に都市整備の為に破却されたが、住民の反対も大きかったことから、残りの4門は残されたという。

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北門。
築城当時の姿を留めている唯一の門。
築城当時は、清朝皇帝の恩顧を得ることから「承恩門」と呼ばれた。
日本では見られない中華系城門で、じっくり見ようと思ったのだが、周辺を工事中だったので、近寄れず。。。
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門の向かいの台北郵局。
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昭和5年に建てられた、鉄筋コンクリートの建築。
玄関の車止めは撤去されてしまったらしいがが、非常に重厚な建物だ。

あと2個所は、また今度行ったときに回る予定。

タグ:台湾 城門
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笠間城の櫓が移築されている 真浄寺 [城]

明治になって、多くの近世城郭が廃城になったが、その際に多くの門や櫓が払い出された。
といっても、大きな櫓や天守は、解体移築に相当に金がかかるのでほどんど破棄されてしまったが。

移築されて現存しているものでも、かなり改築されていることが多く、中には古材としてつかっているだけで、元の意匠と全然違うケースすらある。

城門にくらべ櫓は、改築が著しいのだが、笠間城の八幡台櫓は比較的そのまま移築されているとのことで、移築先である真浄寺に行ってみたよ。

茨城県笠間市にある真浄寺の駐車場に車を停めて、境内に向かう。
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奥にもう見えていますが、まずは本堂へ。
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大きな本堂です。

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参道を直進すると、そのまま階段があって、その上に笠間城から移築された七面堂が建っている。
1880年に笠間城八幡台曲輪からこちらに移築されたとのこと。

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正面入り口の破風屋根や花頭窓は移築時に追加されたものだろうが、今、城址にいるのではと錯覚するくらいの佇まいだ。

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横からみたところ。

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斜め後ろから。
一番、城郭としての櫓っぱくみえるアングル。
茨城県内では、唯一の現存物件である。

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黄色で囲ったところが八幡台櫓。
この八幡台櫓は、浅野長直が赤穂藩に移る前に改築したと伝わっている。
あの忠臣蔵の浅野内匠頭は、長直の孫である。

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七面堂からみた本堂。

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寺務所前から七面堂をみる。
非常に居心地のいい境内です。
タグ: 茨城県
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三段構えの城 出石城 [城]

出石城(兵庫県豊岡市)

城下町の雰囲気が残っており、出石そばで有名な小京都「出石(いずし)」に、
兵庫北部の城巡りの際に訪問した。
といっても、城下町が残ってるだの、そばが有名というのは、訪問してから知ったのですがw
三の丸内にある観光センター横の駐車場に車を停めて、登城開始。

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登城橋と城門。

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今は小川のようになっている谷山川。
治水の為に付け替えられて、少し位置が変わっている。

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復元された高麗門の城門。

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下の丸からみた、本丸の西隅櫓。
出石城は、山の麓から、下の丸、二の丸、本丸、稲荷丸と段々と連なっている。

出石城は、山名氏によって山頂に築城された山城(有子山城)だったが、豊臣秀吉の侵攻によって落城。
秀吉時代には、小出氏が山頂の城を廃して、麓に近世城郭として整備したのが現在の出石城。
以降、松平氏経て、信濃上田から仙石氏が入って、そのまま明治を迎えた。

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本丸の西隅櫓は、1966年に建てられた模擬櫓。
復元櫓や現存櫓と言っても違和感ない感じ。

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もう少し行ったところから、隅櫓をみてみる。

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稲荷丸の石垣。
本丸より高いところに曲輪があるという変わった縄張りである。

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本丸にある感応殿。
仙石家の祖、仙石久秀が祀られている。
仙石政明が、上田から国替えで出石に来るとき、信州のそば名人も伴ってきたことから、
そこからそばが広まり、現在の出石そばになったとのこと。

仙石久秀は、ヤンマガに連載中の「センゴク」で興味をもった武将だが、漫画の影響があるとはいえ、
なかなか魅力的な人物だと思う。
秀吉からの期待を大いに裏切り領地没収・追放され、小田原の役で徳川家康の協力のもと、ちゃっかり参戦し戦場で活躍を見せて、秀吉から許されて大名復帰した面白い経歴の人物だ。
裏表のない実直な人物だったのだろう。

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本丸の東隅櫓。
西隅櫓と同じときに建てられた模擬櫓。

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東隅櫓前から見た稲荷丸の石垣。

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二の丸からみた東隅櫓。
木が邪魔で全容が撮れないです。

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三の丸大手門の石垣の上の建つ辰鼓楼。
現在の街のシンボルである。
明治4年に建てられて、明治14年に時計が付けられて現在の時計台となった。

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三の丸は、松平氏が治めていた時に整備され、政庁機能もこちらに移された。
さすがに山の北側の麓では日当たりが悪く、いろいろと不便だったのだろう。

麓の城郭、三の丸、山頂の旧城と、有事の際は三段構えとなり、麓の縄張りだけ見るとシンプルだが、なかなか堅固な城である。

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このあと出石そばを食べたが、また訪問したい場所ですね。


タグ: 兵庫県
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躑躅ヶ崎館跡/武田神社(山梨県甲府市) [城]

躑躅ヶ崎館跡・・・

現在武田神社となっている場所は、戦国時代は武田氏館として甲斐の中心として機能していた場所である。
明治になって武田信玄を祀った武田神社が創建されてからは、
武家の城館としての色が薄れていったが、最近は発掘整備されてかなり城址らしくなってきた。

2007年頃に訪問してから久しいので、探索に行ってみたよ。

以前の記事
躑躅ヶ崎館跡
武田神社

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門前脇の駐車場に車を停めて探索へ。

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現在の表参道は神社創建時に作られてたもので、城館時代にはなかったものだ。
玉垣がこれだけ立派だと、城館の遺構だと勘違いしてしまう。

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城館時代の大手門は、東側にあるここ。

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大手の手前の馬出はここ近年で発掘整備されたところで、以前の訪問では何もなかった。
まずこの石垣が目に入る。
この石垣は武田時代の遺構ではなく、その後の豊臣時代に城拡張の際に作られたものと言われている。
発掘調査では、この下に武田家独特の丸馬出と三日月堀も発見されている。

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案内版。
黒い枠の部分が整備された大手部分。
黄色は土塁で、水色が水堀部分。

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石垣に上がって、大手前を見る。
L字で土塁と堀で囲まれている。

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このエリアは、南側が一段低くなっている。

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土塁に上がってみる。

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土塁から見た大手門。

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土塁の上を歩きます。

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馬出エリアの出入り口。

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外側は一部だが、水堀が復元されている。
これらの土塁や水堀が北の無名曲輪と連結すれば、かなり壮観だな~と思ってみる。
ここにベンチの1つや2つあれば、いい公園なのだが、如何せんここまで人が来ないですね。

主郭を通過して、西曲輪へ向かう。
西曲輪もかなり整備されている。
以前あった擬洋風建築の藤村記念館(旧睦沢学校校舎)は、甲府駅前に移築されてしまった。

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西曲輪の北側の桝形。

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西曲輪から稲荷曲輪に繋がる土橋。

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稲荷曲輪にある稲荷社。
城としての石垣ではなく社としての玉垣だが、非常に雰囲気があっていいです。

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西曲輪の土塁から、主郭の北西にあると言われる天守台のほうをよくよく見てみる。
所々に見える石垣が、天守台に関係するものだろうか?

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西曲輪の南の桝形。
まだ整備中で、まだ芝も生えていない。

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南桝形を外側から見たところ。

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武田神社には、まず参拝してから、城址探索しましたよ。

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田辺城(京都府舞鶴市) [城]

田辺城

細川藤孝が織田信長から丹後1国を与えられ、宮津城を築き本拠としていたが、
支城として築かれたのが田辺城である。
関ケ原のとき、福知山の小野木公郷に攻められた際に宮津城を焼き払い、田辺城で籠城した。
籠城でよく耐えていたが、藤孝が古今和歌集の奥義の継承者であったことから、後陽成天皇が失伝することを惜しみ、仲介に入り開城となった。
関ケ原の後は京極氏が入封し、その後1668年に牧野氏が田辺を治めて、明治を迎えた。

和歌で救われた城ってのが、面白いですね。

舞鶴西総合会館の横にある駐車場に車を停めて、田辺城を探索開始。

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城址に近づくと、模擬櫓と本丸櫓門が見えてくる。
近世城郭として、一番見栄えのするビューである。

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平成4年に復元された本丸の楼門。

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城内に入る。
写真では見切れているが、虎口の石垣が残っている。
これも復興かも?

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昭和15年の建てられた模擬櫓。
彰古館という資料館のようだが、閉館日だったので、どうなっているかは知らないです。
模擬建築としては古いモノですね。

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天守台。

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反対側からみた天守台。
この天守台に天守閣が建てられたことは無かったという。

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さらに回り込む。
天守台から続く石垣。先にあるのが模擬櫓。
堀が残っていれば、かなりいい感じなんですけどね。
一応、溝のようなものを作っているので、水を張ればいいのにと思ってみる。

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この模擬櫓、あたかも現存していたようにしっくりと建っていますね。

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模擬櫓をもう1枚。
近年に化粧直ししたのか、非常にキレイな外観です。

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城址内の公園にあった遊具。
このセンス好きです。

田辺城へは、舞鶴若狭自動車道が全通して2週間くらいたったときに、行ってみた。
時間がかなり短縮でき、舞鶴方面へ行きやすくなった。
またゆっくりとドライブしたい。

タグ: 京都府
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館山城/館山陣屋(千葉県館山市) [城]

館山城

1580年から1614年に改易させられるまでに、里見氏の最後の本拠地となった城。
改易後は城は破棄されたが、1781年に稲葉氏が館山藩として入り、明治を迎えた。

現在は城山公園となっている館山城址に行ってみた。

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麓の駐車場に車を停め、しばらく歩くと本丸?にある摸擬天守。
実際天守があったかどうかも不明。
この摸擬天守は、八犬伝博物館となっており、里見八犬伝の資料館になっている。

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廻縁から見た景色。
なごみますね。

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天守があるこの平地は、実は日本軍が高射砲陣地を作るために平らにしたらしい。
一見城址跡っぱいがそうではない。
しかし摸擬天守とマッチして、似合ってるから本丸でいいじゃんとなってくる。

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天守があるエリアにある浅間神社。
石の祠が気になります。
稲荷社であれば霊窟なんでしょうが、こちらでは何を表しているのだろう。

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高射砲陣地だったとのことで、陣地跡を探してみた。
画像では全く伝わらないが、2つの土塁があって、ここに高射砲が設置されていたらしい。
・・・・全然わかんないですね。。。。

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八遺臣の墓。
里見忠義が伯耆倉吉に流されて、若くして亡くなったあとに、家臣の8名が殉死した。
これが滝沢馬琴の南総里見八犬伝のモデルであると言われる。

稲葉氏は、城山に城郭を整備せず、麓に陣屋を築いたとのことで、その名残を回ってみたよ。

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陣屋跡にある貴美稲荷神社。
なかなか雰囲気のある石段。

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ちと寂しいです。

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里見忠義の家臣印東采女佑の屋敷の井戸と伝わるもの。
言われないと絶対わからないです。。。。

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陣屋跡に残るクランク

天気も良かったこともあり、城山公園は憩いの場として非常ににぎわっていた。
やたらと「里見氏を大河ドラマに」というのぼりがあったが、何をメインエピソードにしたいんだろう?
って誰をメインに?
タグ: 千葉県
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福知山城(京都府福知山市) [城]

福知山城

明智光秀が丹波一国を与えられた際に、亀山城から新たな居城として築いた城。
現在の福知山城は、本丸だけが残り、整備されている。

城址の南にある駐車場に車を停めて、攻城開始。

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立派な太鼓橋。

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太鼓橋を渡ったところにある櫓。
資料館のようだったが、閉まっていたので、何を展示していたのかは不明。

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本丸入口の櫓門。

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1986年に復元された摸擬天守。
下見板張りの古式な感じがいい。
更にいいのは、廻縁を設けなかったことですね。

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天守の付櫓。

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二の丸銅門にあった番所。
場所こそ違うが、城内における現存物件。

福知山城で印象的なのが、石垣のあちこちで見られる・・・・・

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宝篋印塔や五輪塔などの石塔。
これでもかってくらいつかわれている。

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あっちにも

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こっちにも。。。

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石塔の残骸が集められている。

光秀が、敵対する寺院から集めたとか、支配強化の為に築城を急いだからとか、神のご加護を得る為とか・・・・
諸説あるが、なんとも言えない光景だ。
石仏もあるようだが、見つけることはできなかった。

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本丸にある井戸跡

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腰曲輪から見た付櫓

福知山城と城下町を完成させたのは、関ケ原の後に入った有馬氏。
少しずつ整備が進んでおり、本丸しか残っていないものの、雰囲気が十分伝わる城である。
タグ:
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信州小諸ドライブ [城]

GWは、何かあればいつでも出社して対応ってことで、日帰りのドライブしかできませんでした。

それでも、ちょっとは遠出したいと思い、小諸に行くことにした。
以前、小諸城を訪問した際は、大手門が修理中で見れなかったからだ。

で、いつもは朝6時には出発するのだが、深夜にスタートレックの映画を見入ってしまい、
また朝はまったりしながら準備していたので、出たのが7時半。

なめてました・・・GWの高速を・・・・

中央道で調布あたりでビタ止まり。
八王子こえるまでに2時間近くかかり、やっと圏央道へ。
ここはさすがに混んでいなかったが、関越に入ったら、また渋滞。
やっと上信越道に入っても、またここも渋滞。

小諸についたのは、2時前。長かった。。。。

一通り、公園内を回って、大手門へ。
大手門までのエリアは、以前の訪問よりかなり整備されて、小奇麗になっていた。

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アニメはあまり詳しくはないですが、これがやたらと目についた

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帰りは、141号を南下して中央道経由でと考えていたので、龍岡城を再訪することにした。

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日本では2つしかない五稜郭である。
サイズは陣屋レベルなので、実践性ははっきりいってないし、砲台は1個しか設置されなかったとのことで、本気で戦う陣地ではない。
もう少し、当時の姿が残っていればいいのだが、跡地は小学校になっているので、御殿の台所が残っているだけでも貴重かもしれない。

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近くの新海神社に古い三重塔があるとのことで、行ってみることに。

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1515年建立と言われている三重塔。
廃仏毀釈のときに壊されずに済んだ、貴重な塔である。

ここで4時過ぎ。
141通って帰ろうとしたが、うちのナビがマヌケすぎて、南下するのではなく、
十石峠を通るルートで案内していて、なんとも心もとない道幅の道を永遠と走らされて、
峠を越えたら、群馬に来ていた。。。。。。
ネタで買った乃木坂46ナビは、ほんとネタにしかなっていない(w

結局、関越⇒圏央道⇒中央道で帰ったが、
中央道でパトレイバーを乗せたトレーラーに抜かれた。

想像してほしい

横を10m近いロボットを乗せたトレーラーが通っていくシーンを。。。

3度見したよ。
ほんとアニメの世界だよ。

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三日月陣屋(兵庫県佐用町) [城]

兵庫県佐用町は、山に囲まれた静かな町である。
ここは津山藩森家が無嗣断絶となった際、分家の森長俊が領地替えされて、立藩した地である。

移築されて小学校、公民館として使われていた物見櫓と長屋が元の位置に戻され、
その際に他の門も復元整備されて、陣屋跡としてかなり様になった。
城関連の本で陣屋の写真をみたとき、そのインパクトある光景に、いつかは行こうと思っており、
実家の広島に車で帰る途中、兵庫の城を幾つか巡った際にこちらに立ち寄ってみた。

陣屋に着いたのは8時半でまだ陣屋は開いておらず、陣屋裏にある駐車場にも入れなかったので、
隣の列祖神社前の路肩に車を停めて、攻城を開始した。

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陣屋としては非常に立派な表門。
門が3つ、橋が2つもある珍しい長屋門です。
本でこの陣屋らしからぬ表門を見て非常に興味を持ったのだが、印象通りのインパクトある門だった。

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他と木材の色が違う建物が、小学校として移築されていた物見櫓。

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復元された中御門。

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左端にある通用御門。

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顔出し看板。
殿様気分をどうぞってことなんでしょうが、何だろ...このヤル気のなさは(w

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通用御門からみた陣屋門。

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裏に回ってみる。
裏に回った瞬間にかなり拍子抜けします。
ものの見事に.....何もないです。
中段に石垣がちょこっと見えますが、案内板にあった藩郭内図を見ると、屋敷内通用門の石垣っぽいです。

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長屋門の裏側。
手前が物見櫓で、奥が中御門。

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中御門の裏側。

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物見櫓の裏側。

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三日月藩森家は1697年にここに陣屋を築き始め、1700年頃には完成したという。
森家はここで9代存続して明治を迎えた。

門だけでなく、もう少し整備をして欲しいもんだが.....
現状の整備でも採算は取れてるのだろうか?
全然商売っ気がなく、もう少し観光に力を入れたほうがいいのではと、心配になってしまう。
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