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旧広島地方気象台 広島市江波山気象館 [近代建築]

広島郷土資料館(陸軍糧秣支廠)から、江波方面に車を走らせ、広島市江波山気象館へ向かった。
この気象館は、旧広島地方気象台で、今では気象をテーマにした博物館となっている、

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昭和9年に建てられた、モダンな建築。

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玄関上のバルコニー風の窓飾りと、玄関の庇に柱は片側のみで、しかも逆円錐の組み合わせで、
非常に凝ったデザインとなっている。

玄関の反対側が広島に市街地方面である。
その反対側に行ってみる。

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壁が黒ずんでいるが、これは原爆で焼き付いたもので、以降の改修工事でも、
この面はそのまま保存されてきた。
中に入ってみる。

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先ほど黒くなっていた壁の2階にあたる部屋は、原爆に関する資料室になっている。
窓に面した壁には、原爆で飛び散って、壁に刺さったガラスがそのままの状態で保存されている。
赤い▲印のところにガラスが刺さっている。
爆心地から3.6km離れていたので、観測機器類の破損が小さく、その後も観測が行われたとのことだ。

廊下は、アーチ状の壁が連続している。
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階段。
手摺やR状になった手摺の固定のアーチ意匠など、手間がかかっている。

屋上に上がってみる。
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屋上には観測塔が建っている。
塔に上がる階段は、片持ち構造で、下側をRで仕上げたデザイン。
小さなこだわりがニクいですね。
また、塔の屋上部の三角窓の意匠もこだわりを感じます。

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観測塔に上ってみる。

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観測塔から見た、広島に市街地方面。(広島駅方面)
眼下にあるのは、龍光院。

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こちらは瀬戸内海方面。

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龍光院の寺務所からみた気象台。

館内には、夏休みということもあり、家族での訪問が多く、台風の暴風の体験コーナーなど、
楽しんでいた姿が印象的だった。

体験あり、見せるものあり、考えることありと、非常にいい活用がされていますね。


タグ:広島県
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旧陸軍糧秣支廠 広島郷土資料館 [近代建築]

盆に実家の広島に帰省した際に、買って1か月も経たない母のデミオを借りて、
ちょっくら広島郷土資料館へ行ってきました。

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宇品港近くにある、この広島郷土資料館は、戦前までは陸軍糧秣支廠の缶詰工場だったところ。

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明治44年に作られた建物。レンガ積みの美しい建物だ。
宇品は、日清戦争以降、中国方面の出向地として発展した軍港で、この周辺には軍事施設が多く作られた。ちなみに、戦後にこの施設の1部を製菓工場として使っていたのがカルビーである。

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平屋に見えるが、2階建である。
外壁にコーニスという、ちょっとした出っ張りがあるが、床を支える梁を乗るためのもので、
これが目安となる。

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左右の入り口部分。
丸窓がいいアクセントになっている。

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右側の入り口の前には昔の郵便ポストが設置。
これまたいいアクセントですね。

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軍の支廠の施設としては、各部のデザインが非常に凝っていると思う。

中に入ってみる。
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原爆の爆風でひん曲がった梁の鉄骨。

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中庭に出てみる。
建物は、コの字状に残っている。
真ん中の窪みに、缶詰工場があったとのことだ。

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アーチの意匠が印象的な扉。
モノの搬入出口だったのだろう。

内部の資料館ですが、常設展示としては江戸期の広島の産業の展示になっています。

特別展示として、お化けの博物館として、主に江戸期の広島のお化け、妖怪の絵画の展示と2階ではお化け屋敷が設置してあり、家族に人気でした。
私は並ぶのが嫌なので、パスしました。
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あと宇品凱旋館という、宇品港の近くにあった建物の期間限定のコーナーがあった。
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1938年に建てられた、出征から帰ってきた将兵がくつろぐための施設だったが、原爆で壊滅して機能していない市内の病院施設に変わって、救護施設となっていたとのこと。
戦後は海上保安庁の施設としてつかわれていたが、1970年に取り壊されたという。
なぜこういうものを残さないのかと、かなり残念な気持ちになる。
タグ:広島県
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鳥取城址に建つ白亜の洋館 仁風閣 [近代建築]

鳥取城の城址内に仁風閣という洋館が建っている。

明治40年に、鳥取池田家当主により別邸として建てられた洋館で、
大正天皇が皇太子時代に行幸し、宿泊したことで有名だ。

最近では「るろうに剣心」の実写映画で、武田観柳の邸宅として登場していたので、
見覚えがあるかもしれない。

明治期の洋館好きの自分にとっては、非常に大好物な物件である。

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鳥取城址を探索をする際は、ぜひこちらの仁風閣も見学して欲しいですね。
否応なしに目に入るので、スルーすることはあまりないと思いますが。

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一部階段の多角形の塔を除けは、はぼ左右対称のルネサンス様式の木造の洋館。

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木造建築でのルネサンス様式というのは、なかなか定義しづらいのだが、
しいて言うならば、円形の棟飾りや換気窓がそれらしさを出しているくらいでしょうか。

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建物の右側にある、螺旋階段の八角形の塔。
この塔がこの洋館のアクセントになっている。
この塔はゴシック様式風なので、ルネサンスとゴシックのハイブリッド建築ですかね。

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バルコニーと庭。
芝の緑と白亜の建物が、非常に清潔感を与える。
晴れていれば、そこにブルーも加わるのだがあいにくの曇りで、ちと残念。

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庭から見た主郭方向。

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内部。
応接室と食堂。

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ブロック風の模型。

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城址から見た仁風閣。
屋根から生えている数本のレンガ製の煙突が印象的。

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堀越から見た仁風閣と城址の石垣。
櫓でも残っていたら、ビュースポットになっていただろう。

鳥取城址の石垣群は圧巻なのだが、その中でも印象的なのは、この巻き石垣。
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石垣の崩落防止のためらしいのだが、なんとも不思議な石垣だな。
タグ:鳥取県
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甲府駅前に佇む擬洋風建築 藤村記念館 [近代建築]

甲府駅前の広場に擬洋風の建物が建っている。

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藤村記念館と呼ばれている、明治8年に建てられた睦沢学校校舎である。

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当時の山梨県令であった藤村紫朗が擬洋風建築を奨励したことから、
その時建てられた建築を藤村式建築とも呼ばれるらしい。

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屋根は宝造りの桟瓦葺。
中心には太鼓楼の塔屋付き。

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中には、信玄時代の躑躅ヶ崎館のジオラマが展示してあった。
この藤村記念館は、数年前まで武田神社の西曲輪に移築されてました。

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武田神社時代は、柱や窓の色がかなりパステル調でした。
個人的にはこちらのほうが好きですが、駅前に佇むには今のほうがいいかもですね。

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建物としては、木々に囲まれてちょっと薄暗かった武田神社西曲輪より、
開放されて明るい駅前の今のほうがいいと思う。

いろんなイベントに活用できるしね。


タグ:山梨県
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宮殿造りの駅舎 旧大社駅 [近代建築]

テレ東の「美の巨人」で旧大社駅を取り上げており、そういえば2年くらい前に行ったなあ~と思い出しながら見てました。

2013年の出雲大社式年遷宮のとき、参拝の帰りに旧大社駅に寄って来たので、その記事をアップします。

出雲大社から車で3分程度、歩いて15分程度のところに旧大社駅が保存されている。
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平成2年にJR大社線が廃線となったのちも、管轄を町に移して保存されている。
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大社駅は明治43年に開業し、この宮殿風造りの駅舎は大正13年に改築されたもの。
向かって左側の部屋は貴賓室で、左側が1.2等待合室。
中央の広い空間が3等待合室である。

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懸魚、蟇股、亀瓦と寺社建築そのものですね。

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中に入ってみる。
広いこの空間が3等待合室。
この駅舎は木造建築であるが、この広い空間に柱が1つもない。
屋根裏は西洋建築技法であるトラス構造が取られており、このおかげで柱を立てることなく、この空間が得られている。

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中央には出札室。
各受付窓は、厨子造りの屋根が付いている。

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天井にはシャンデリアがぶら下がっており、その天井部には鏝絵(こてえ)が彫られている。

ホームに出てみる。
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清算所も厨子造りの屋根付き。
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デコイチが静態保存されていた。
元は出雲大社神苑に展示されていたものをこちらに移設したとのこと。

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ホームの鉄板にウサギの模様が。
因幡の白兎か?

出雲大社に参拝した際は、合わせて訪問したい物件です。
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タグ:島根県
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トルコ軍艦遭難慰霊碑(和歌山県串本町) [近代建築]

昨年末、最後に映画館で観た映画は「海難1890」

自分は、このエルトゥールル号の記事を読むと涙が止まらなくなるんです。
数年前に雑誌歴史街道でこの記事を取り上げていて、それを会社帰りの電車で読んでいて大変でしたw
なんだろ、人の優しさっていいなと。

で、映画ですが、ポイントは抑えていましたが、結構エピソードをカットされていて、ちょっと残念でしたが、
かといってカットできるシーンもなく、あれ以上映画が長くなっても微妙でしょうしね。

以前、海難の現場となった和歌山県の串本町に行ったので、記事アップします。

串本町の最南端の紀伊大島の端にトルコ記念館があり、そちらに向かう。
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日本とトルコの友好を目的として建てられた、トルコ記念館。
エルトゥールル号の写真や模型が展示してあったが、あまり展示品は多くなかった。
その後、リニューアルしたようなので、変わっているかもしれない。

さらに岬の方へ向かうと、トルコ軍艦遭難慰霊碑が建っている。
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明治24年に和歌山県知事や有志の義金により、慰霊碑が建てられたが、
昭和天皇がこの地を行幸されたことを聞いたトルコ大統領により、昭和12年に現在の慰霊碑に改修された。
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花受が大砲型になっている。

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慰霊碑の脇に建つ、「ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像」
第一次世界大戦後に、トルコを開放に立ち上がり勝利した、トルコの英雄とのこと。
海難120年のときに、更なる両国友好の為に、トルコから串本町に寄贈された。

さらに岬に進むと、樫野崎灯台がる。
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幕府が結んだ条約により設置された灯台で、エルトゥールル号遭難事件での救助の拠点となった場所である。

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樫野崎灯台の旧官舎。
明治3年に建てられた、石造りの西洋建築。
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海側の壁は、船から見て目立つように白く塗られている。

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樫野崎灯台。
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灯台からみた旧官舎

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エルトゥールル号が遭難した辺り。
この日は、ここに到着するまでは雨が降っていたので、ちょっと時化ている。
この潮の流れを見ると、台風のときはすさまじそうだと想像できる。

この日は串本駅近くのホテルに泊まった。
次の日は晴天。
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串本駅

この後は、海岸線沿いに気持ち良く車を走らせて、白浜経由で和歌山市内を観光してたのだが、
東照宮を参拝していたときに、会社から電話かかってきて、ちょっとげんなりしたのだった。。。


タグ:和歌山県
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東京ミチテラス2015 [近代建築]

アメ横に買い物に行ったついでに、東京駅丸の内駅舎をライトアップしている、
「東京ミチテラス2015」に立ち寄ってみた。

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東京駅の丸の内駅舎を12月24~27日まで、日本の伝統色をテーマにライトアップされたもの。

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伝統色で点灯されているのは、正面の3間部のみ。
左右のドーム部はいつも通りのライトアップです。

創建当時の外観に復元されたのが2012年10月。
復元してすぐに見に行ったのが、以降の写真。
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堂々した姿で、美しいです。

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復元されたドーム内部。

駅前は2017年までは整備中で、ガードレールやら工事壁が邪魔。
整備が完了すれば、駅前も含めたイルミネーションが展開されると思う。
(すべてiPhoneで撮影)


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旧土岐邸洋館(群馬県沼田市) [近代建築]

沼田公園内には、1742年から廃藩まで沼田藩を治めた土岐氏が、
大正時代に東京に建てた洋館が移築されている。

沼田藩としては一番長く治めている土岐氏だが、沼田と言えば真田氏のイメージが強いし、
街でも真田家所縁の地ということをすごくアピールしている。
これは故郷の広島でも近いことが言えて、広島市は毛利輝元が開いた町ではあるが、
町割りを整備したのは福島正則だし、江戸のほとんどを統治したのは浅野家だが、
毛利の町という意識が強い。

やはり、その場所をはじめに拠点とした人が、リスペクトされるのでしょうね。

さて、移築されている洋館であるが、関東大震災後に渋谷に建てられた洋館で、
土岐氏(子爵)の住宅の一部として建てられたもの。
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造りは、ドイツ郊外別荘風住宅。
一階部はドイツ風で、二階部は下見板張りのアメリカ風の建築。
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窓や玄関がドイツ壁仕上げとなっている。
屋根には牛の目窓と呼ばれる、屋根窓が付いているのも、ドイツ風である。
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全体的にシンプルだが、ちょっとしたアクセントがいい雰囲気を作り出している。
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玄関と玄関のステンドグラス。
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内部は、和室と洋室のハイブリッド。
このようなセンスある家が、今でも作られてもいいと思うのだが、センスある住宅ってあまり見ないですね。
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ちなみに土岐氏だが、本家筋は美濃や尾張の守護職であった土岐氏で、
この系統は斉藤道三に美濃を追われた後、常陸、上総と転々とし、旗本として残った。
沼田土岐氏は、美濃土岐氏の初期の傍系で、明智氏の流れ。
明智定明が家の内紛で殺害された後、嫡子が母方の菅沼家の養子となり菅沼家を継いだ。
(明智光秀は、定明の叔父の孫)
以後、徳川家の家臣として活躍し、関東入封後に、下総守谷1万石が与えられた。
名家好きな秀吉の勧めにより、土岐姓に復した。
その後は、何カ国か国替えを繰り返し、1742年に3万5千石で沼田に入った。
歴史って、色々と絡み合っていて面白いですね~
タグ:近代建築
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佐竹商店街周辺の看板建築 [近代建築]

2年くらい前に、大江戸エリアを「もち歩き江戸東京散歩」を参考に、片っ端から歩くのがマイブームだった。
その時はあまり気にならず、スルーしていた物件がある。
関東大震災後に防火性向上の為に、通りに面した側に銅板を貼ったり、モルタルにしたりした建築で、
看板建築と呼ばれている一般住宅建築である。
特に銅板が貼られたバージョンは、なかなか味のある物件で、今では下町の裏道を歩く際は、
残ってないかな~と注意している。
が、なにせ住宅建築としてはかなり古い為、次々と姿を消している。
消滅してしまう前に、見つけ次第写真に撮っておこうと思う。

ちょっと前に新御徒町駅の近くに行く用があり、佐竹商店街を歩いているときに一件偶然見つけ、
一件あるといことは、他にもあるだろうと思い、キョロキョロしながら歩いていたら、何件か見つけた。

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この銅の青錆びがなんとも言えない味わいである。
この物件では、銅板がブロックっぽい模様になっているが、この模様のパターンバリエーションの多さも、
看板建築の見所でもあり、職人さんの腕の見せ所でもある。
左奥側は一部モルタルになっており、銅板とモルタルのハイブリッドとなっている。

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佐竹商店街と平行で走っている清洲橋通りにある物件。
かなりやつれているが、かなり凝っている意匠だ。

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先の物件と駐車場を挟んで建っていた物件。

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清洲橋通りからちょっと裏道に入ったところで見つけた物件。
部分的にしか銅板を貼っていないが、2階の軒下の意匠が良い。

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看板建築は、見つけ次第記録を残しておこうと思っている。
ぶらりと歩いた佐竹商店街だが、お世辞にも活気があるとは言えないまでも、
レトロ感溢れる魅力のある商店街だ。
こういった商店街が少なくなったのは寂しいなぁ
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平成大野屋(福井県大野市) [近代建築]

大野市で見る物件は回ったので、次の地の一乗谷へ向う。
と・・・その前に、まだ昼食を取っていなかったので、
平成大野屋の中にある郷土料理屋「奥越前はいから屋」に立ち寄った。

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平成大野屋の建物。
昭和12年に建てられた、洋風木造建築。
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元は大野織物工業組合織物検査場として建てられ、今では大野の観光施設として利用されている。
クリーミーブルーの外観が非常にポップ。
ここの1階にある「奥越前はいから屋」で、ふるさと御膳を食べた。
結構ボリュームがあって、おいしかったよ。
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店の裏側。背面はブルー塗装はされていない。
ここはレストスペースとなっており、そこには蔵が2棟ある。
蔵の色と合わせるために、裏は黒のままなのだろう。

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二階蔵と平蔵が並んで建っている。
二階蔵の軒下の壁は、ブルー塗装してあり、洋館の色に合わせている。
この蔵は、明治期の銀行の担保蔵であったとのこと。
この地方の蔵の特徴は、軒下にある方杖と呼ばれるつっかえ棒があることだ。
今は、1階がクラフト体験場、2階が昔の朝市のジオラマが展示してある。

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平蔵。

このように昔の建築物をうまく利用しているいい例だと思う。
どうも明治以降の建築は評価されづらく、すぐ破却されてしまうのだが、移築や改装しての再利用には賛成である。
そんな物件を、福井ではよく見かけた。

平成大野屋


タグ:近代建築
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