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旧土岐邸洋館(群馬県沼田市) [近代建築]

沼田公園内には、1742年から廃藩まで沼田藩を治めた土岐氏が、
大正時代に東京に建てた洋館が移築されている。

沼田藩としては一番長く治めている土岐氏だが、沼田と言えば真田氏のイメージが強いし、
街でも真田家所縁の地ということをすごくアピールしている。
これは故郷の広島でも近いことが言えて、広島市は毛利輝元が開いた町ではあるが、
町割りを整備したのは福島正則だし、江戸のほとんどを統治したのは浅野家だが、
毛利の町という意識が強い。

やはり、その場所をはじめに拠点とした人が、リスペクトされるのでしょうね。

さて、移築されている洋館であるが、関東大震災後に渋谷に建てられた洋館で、
土岐氏(子爵)の住宅の一部として建てられたもの。
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造りは、ドイツ郊外別荘風住宅。
一階部はドイツ風で、二階部は下見板張りのアメリカ風の建築。
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窓や玄関がドイツ壁仕上げとなっている。
屋根には牛の目窓と呼ばれる、屋根窓が付いているのも、ドイツ風である。
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全体的にシンプルだが、ちょっとしたアクセントがいい雰囲気を作り出している。
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玄関と玄関のステンドグラス。
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内部は、和室と洋室のハイブリッド。
このようなセンスある家が、今でも作られてもいいと思うのだが、センスある住宅ってあまり見ないですね。
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ちなみに土岐氏だが、本家筋は美濃や尾張の守護職であった土岐氏で、
この系統は斉藤道三に美濃を追われた後、常陸、上総と転々とし、旗本として残った。
沼田土岐氏は、美濃土岐氏の初期の傍系で、明智氏の流れ。
明智定明が家の内紛で殺害された後、嫡子が母方の菅沼家の養子となり菅沼家を継いだ。
(明智光秀は、定明の叔父の孫)
以後、徳川家の家臣として活躍し、関東入封後に、下総守谷1万石が与えられた。
名家好きな秀吉の勧めにより、土岐姓に復した。
その後は、何カ国か国替えを繰り返し、1742年に3万5千石で沼田に入った。
歴史って、色々と絡み合っていて面白いですね~
タグ:近代建築
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佐竹商店街周辺の看板建築 [近代建築]

2年くらい前に、大江戸エリアを「もち歩き江戸東京散歩」を参考に、片っ端から歩くのがマイブームだった。
その時はあまり気にならず、スルーしていた物件がある。
関東大震災後に防火性向上の為に、通りに面した側に銅板を貼ったり、モルタルにしたりした建築で、
看板建築と呼ばれている一般住宅建築である。
特に銅板が貼られたバージョンは、なかなか味のある物件で、今では下町の裏道を歩く際は、
残ってないかな~と注意している。
が、なにせ住宅建築としてはかなり古い為、次々と姿を消している。
消滅してしまう前に、見つけ次第写真に撮っておこうと思う。

ちょっと前に新御徒町駅の近くに行く用があり、佐竹商店街を歩いているときに一件偶然見つけ、
一件あるといことは、他にもあるだろうと思い、キョロキョロしながら歩いていたら、何件か見つけた。

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この銅の青錆びがなんとも言えない味わいである。
この物件では、銅板がブロックっぽい模様になっているが、この模様のパターンバリエーションの多さも、
看板建築の見所でもあり、職人さんの腕の見せ所でもある。
左奥側は一部モルタルになっており、銅板とモルタルのハイブリッドとなっている。

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佐竹商店街と平行で走っている清洲橋通りにある物件。
かなりやつれているが、かなり凝っている意匠だ。

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先の物件と駐車場を挟んで建っていた物件。

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清洲橋通りからちょっと裏道に入ったところで見つけた物件。
部分的にしか銅板を貼っていないが、2階の軒下の意匠が良い。

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看板建築は、見つけ次第記録を残しておこうと思っている。
ぶらりと歩いた佐竹商店街だが、お世辞にも活気があるとは言えないまでも、
レトロ感溢れる魅力のある商店街だ。
こういった商店街が少なくなったのは寂しいなぁ
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平成大野屋(福井県大野市) [近代建築]

大野市で見る物件は回ったので、次の地の一乗谷へ向う。
と・・・その前に、まだ昼食を取っていなかったので、
平成大野屋の中にある郷土料理屋「奥越前はいから屋」に立ち寄った。

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平成大野屋の建物。
昭和12年に建てられた、洋風木造建築。
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元は大野織物工業組合織物検査場として建てられ、今では大野の観光施設として利用されている。
クリーミーブルーの外観が非常にポップ。
ここの1階にある「奥越前はいから屋」で、ふるさと御膳を食べた。
結構ボリュームがあって、おいしかったよ。
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店の裏側。背面はブルー塗装はされていない。
ここはレストスペースとなっており、そこには蔵が2棟ある。
蔵の色と合わせるために、裏は黒のままなのだろう。

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二階蔵と平蔵が並んで建っている。
二階蔵の軒下の壁は、ブルー塗装してあり、洋館の色に合わせている。
この蔵は、明治期の銀行の担保蔵であったとのこと。
この地方の蔵の特徴は、軒下にある方杖と呼ばれるつっかえ棒があることだ。
今は、1階がクラフト体験場、2階が昔の朝市のジオラマが展示してある。

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平蔵。

このように昔の建築物をうまく利用しているいい例だと思う。
どうも明治以降の建築は評価されづらく、すぐ破却されてしまうのだが、移築や改装しての再利用には賛成である。
そんな物件を、福井ではよく見かけた。

平成大野屋


タグ:近代建築
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陸軍高田十三師団長官舎(新潟県上越市) [近代建築]

明治政府は1888年までに全国6箇所あった鎮台を廃止し、師団として編成した。
その後、師団は数を増やし、1905年の日露戦争にて、各師団が戦地に派遣されて為、本土駐留師団として、
高田十三師団、宇都宮十四師団、豊橋十五師団、京都十六師団が新設された。
今回は、その高田十三師団の師団長官舎を訪れた。
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元は別の場所にあったが、老朽化した為、初代と2代目の師団長が居を構えた旧市長公舎跡地に移築・復元された。
レンガの門柱は市長公舎のものだろうか。
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ヒゲ男爵...ではなく、3代目師団長長岡外史中将。
このヒゲは、はっきり言って、武器である。
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この擬洋風建築の師団長舎は、先のヒゲ男爵長岡中将が建てたもの。
内部は、1階が洋間、2階が和室となっている。
1階
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応接室
書斎・居間・食堂と連なる
食堂の壁には、食事は運ばれてくる窓が付いている。
ドア

2階
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階段までは洋風。
蛇口は、茶道用か?

外観をいろいろな方向から見てみる
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玄関先の車留め。
横側。
裏手。2階のテラスは明るくて気持ちいいよ。
屋根裏は、擬洋風建築では定番の菱形格子になっている。
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庭から長舎を見る。
建物の白、青い空、木々の緑のコントラストが絶妙。
清清しくて気持ちいいよ。

十三師団のことをちょっと説明しておく。
十三師団は、臨時に設立された駐留師団であるが、日露戦争では樺太に出兵し、
1ヵ月後に樺太に展開していたロシア軍が降伏した為、樺太全島を占領した。
その後、臨時師団から常設師団へ昇格したとのこと。
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旧呉海軍工廠赤レンガ倉庫群(広島県呉市) [近代建築]

大和のドックが見える「歴史の見える丘」から音戸方面に海岸沿いに進むと、道沿いに4棟の赤レンガ倉庫が現れる。
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元海軍工廠の倉庫で、現在は民間企業が使用している。
この3連レンガ倉庫、元は両側の2棟であったのだが、空襲で破損していたこの2棟を修復する際に、ガレキと化したレンガを使用して正面に壁を作って3連の棟にした。
向って左側は造兵廠弾丸庫として作られ、終戦前は工廠電気部外業工場となっていた。 右は、造兵廠魚形水雷庫として作られ、後に工廠電気部製図工場として使われていた。
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それぞれ改築のせいで、所々異なる箇所があるが、基本は同じ。
窓をレンガで埋めてるのは、戦時中の改築なら爆風避けだろう。
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半分が鉄扉になっている窓が幾つかある。戦時中に付けられたものだろうか?
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3棟と少し間をおいて、もう1棟。
正面は、他と同じ。
造兵廠予備艦隊兵器庫として作られ、後に電気部事務所として使われていた。
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この1棟の奥行きは他の3棟の1/2弱。
ちょっと可愛らしい。
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3棟の横にあるセブンイレブンの左横の道を進むと、さらに1棟。
バリバリの現役で、いい味を出している。建物は使ってナンボだ。
戦前は、電気部発電所であった建物である。
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1Fは倉庫で、2Fが事務所のようだ。
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この倉庫の裏手の雑木林の中に、屋根の無い小さなレンガ建築を発見。完全に廃墟だ。会社の敷地だし、あまりの藪っぷりに近寄れない。
残念。
調べて見ると、工廠電気部の電気機械試験室であったらしい。
やっぱり海軍の街には、赤レンガ倉庫だ。

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旧田中銀行(山梨県甲州市) [近代建築]

勝沼ICより10分程度、旧甲州街道沿いに、小さな擬洋風建築がある。
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旧田中銀行社屋である。 
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和と洋が絶妙に融合した、秀面な建物だと思う。どちらの個性も強すぎないところがいい。今の住宅建築が見習っていただきたいところだ。
明治30年に勝沼郵便通信局として建てられ、明治35年から田中銀行として、改修された。
その際、内部の間取りはかなり変更されたとのこと。
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1Fの内部。
玄関入ってすぐ正面にカウンターが設けられていたが、現在は取っ払われ、1ルームになっている。
玄関のすぐ左にあるテーブルとイス。これは最近のもの。
左奥が頭取のデスク。今はガイドの方のデスクとなっている。テーブルやイス、本棚は当時のまま。
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2F。階段上がってすぐの書斎。戦時中は、向いの田中本家に北白川宮が疎開しており、その従者がここに住んでいたとのこと。
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2F廊下。郵便通信局時代は、ここに階段があった。当初は階段部分に、もう一部屋あった。
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2Fベランダ側の和室。飾られている写真は、近代美術館工芸館の前にある北白川宮能久親王の銅像だと思われる。
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和室の襖と、もう一部屋の和室にある家具。北白川宮の婦人が徳川家所縁の方らしく、葵の紋入りである。疎開から戻る際、運搬が困難だった為、置かれていかれたとのこと。
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社屋の裏手にあるレンガ土蔵。
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屋根を修築中の蔵。米倉か繭蔵のどちらか。
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庭にポツンと佇む、いい味だしてるポンプ。
社屋の各部を見てみる。
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後ろ側。
玄関の庇の屋根裏は、菱格子天井。擬洋風建築でよく見られる。
鉄柵。良く見ると、模様が「田中」となっている。この鉄柵は復刻のもので、当時のものは、戦時中の金属供給令で供出されてしまった。
右下のドアストッパーとなっているツボは、昔のワインのツボ。

昼飯を食べた道の駅にあった、勝沼観光パンフに載っていたので、寄ってみたが、見ごたえ充分な物件だった。ガイドの方が非常に元気かつ親切に説明してくれたのも好印象だった。
駐車場は2件先(東京方面)に有料田中駐車場に無料で停めれる。(一応、要確認)

タグ:近代建築
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八ツ沢発電所第1号水路橋(山梨県大月市) [近代建築]

猿橋から辺りの景色を眺めていたら、気になる物件を発見・・・
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レンガで固められたトンネル入口と蛇腹なコンクリ構造の橋・・・
何だろうと近づいてみると、
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水路橋である。
案内板があったので読んでみると、1912年に作られた「八ツ沢発電所第1号水路橋」とのこと。

この水路橋を含め、隧道や取水口、貯水池などをはじめとする発電所関連施設が重要文化財に指定されたという。
発電所以外の関連施設が指定されたのは、はじめてらしい。

この橋は立ち入り禁止になっており、近づくことが出来ない。
できれば、橋の脇を歩けるようにして欲しいものだ。
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近衛師団司令部(千代田区) [近代建築]

地下鉄九段下駅から田安門を潜り、江戸城北の丸エリアに入ると、すぐ武道館が現れる。江戸時代この北の丸は、御三卿の田安家、清水家の屋敷があったエリアで、明治以降は皇居の警護の任務の為、近衛歩兵第1連隊と第2連隊が置かれていた。
その後、軍編成により近衛師団となり、近衛師団司令部が置かれた。
その遺構を見ていくこととする。
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武道館の向いの茂み?に近衛歩兵第1連隊の記念碑がある。
近衛歩兵第1連隊と第2連隊は、日本陸軍初の歩兵連隊として明治9年に開設された。第1連隊は、この武道館一帯にあった田安家屋敷跡に兵営が建てられていた。
この記念碑は道からちょっと木々に囲まれた先にあるのだが、頭上がクモの巣だらけで、季節によっては虫嫌いは近づけないかも(w
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第1連隊記念碑から数分歩いたところにある、第2連隊記念碑。この辺りは清水家の屋敷跡で、第2連隊の兵営が建てられていた。
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東京国立近代美術館工芸館の手前の木々の中に設置されている、北白川宮能久親王の銅像。
元は、近衛歩兵第1連隊と第2連隊の正門前に置かれていたが、北の丸公園造営の際、こちらに移された。
北白川宮能久親王は、第2代近衛師団長であった。
鋳造は陸軍砲兵工廠。
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首都高の目の前にある東京国立近代美術館工芸館。ここがかつては、近衛師団司令部の庁舎だったところである。
明治38年に建てられたゴシック様式の建築。
イギリス積みのレンガ造りで、美しい洋館である。軍庁舎に在りがちな威圧感は感じない。
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玄関周辺。シンプルなレリーフ。
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屋根の出窓。
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下部の通風孔の枠は、陸軍らしく星マーク。
昭和38年には取り壊しが決定したが、保存運動の甲斐あって現在に至っている。
何でもかんでも壊そうとするなよ~

タグ:近代建築
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軍人会館(千代田区) [近代建築]

地下鉄九段下駅から地上へ出ると目に付く建物がある。
九段会館である。戦前までは軍人会館と呼ばれており、軍関係の社交場であった。
軍関係の建物らしく、コンクリ建築の上部に城郭建築をミックスした「帝冠様式」である。竣工の昭和9年の当時は、日本らしい建築として、そして攻撃的なルックスから軍や役所なんかで流行した。
近代建築としてどうも悪評が目立つ帝冠様式だが、個人的には、このなんとも言えないアクの強さがたまらない。 kudan1.JPG
この軍人会館が注目を浴びたのは、「2.26事件」だろう。
この事件のとき、厳戒司令部が軍人会館に置かれ、ここからクーデターの兵士に帰順説得のラジオ放送が行われた。
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現在は、披露宴や祝宴、宴会ホールとして使われている。
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東面側。
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東側の出入口。
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上部のシンボルは、陸軍の星をモチーフにしたのだろう。
戦後はアメリカに接収されて、「アーミーホール」と名付けられ、士官の宿舎兼食堂となったが、昭和32年に変換された。
半端なく波乱万丈な建物も、今は平和な日々を過ごしてると言えよう。

タグ:近代建築
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三井本館(日本橋北部) [近代建築]


三井本館。重要文化財。
アメリカンボザール様式のRC製地上7階地下2階建の建造物。
旧本館が関東大震災で被災した為、1932年(昭和4年)に建築された。

設計はアメリカのローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所。


基部の大理石はイタリア産。

この三井本館は、戦後GHQに接収され、対日理事会やGHQ外交局が入った。
1952年まで、GHQの管轄下にあった。

震災前の三井銀行。(大正初期)
現在の三井本館は、震災の教訓から、旧館の2倍の耐震構造で作られてるらしい。
デザインは、経済の中心となりつつあったアメリカの影響もあり、また世界へアピールする意味もあり、アメリカスタイルになったようだ。

【参考文献】「知られざる占領下の東京」(洋泉社)

写真と地図で読む!知られざる占領下の東京 写真と地図で読む!知られざる占領下の東京

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