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広島に残る兵站拠点の跡 兵器支廠 [戦争遺跡]

戦前の広島市は、陸軍第五師団が設置され、日清戦争時に広島城に大本営が設けられると、
軍都として発展していった。

広島湾の宇品港は、大陸への兵站輸送の拠点となり、宇品港と広島駅を結んだ宇品線(現在は廃線)の沿線には、
被服支廠、兵器支廠、糧秣支廠が次々に開設された。

以前にレンガ倉庫群が圧巻な被服支廠は紹介したが(陸軍被服支廠(広島市南区))、
今度は兵器支廠跡に行ってみたよ。

兵器支廠は、爆心方向にある比治山のおかげで、建物の一部の損傷はあったものの、ほぼ無傷であったため、戦後は市役所が仮設置され、その後は広島大学医学部霞キャンパスと広大病院となった。
新規施設の建設と兵器支廠の建造物は老朽化の為、次々と姿を消していったが、最後の建造物の11号館は被爆建造物の為、破却ではなく解体移設された。

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11号館。
玄関と左右合わせた3間が、元のレンガを使用している。
現在は、医学資料館となっている。

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11号館の脇には、当時のレンガ壁が残されている。

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資料館の1階のエントランスには、原爆ドーム(広島県産業奨励館)の一部を元安川から発掘して、
展示してあった。
手前の大きな石は、広島県産業奨励館のバルコニー部。

1階の展示室は、和洋の医学の歴史と歴史資料が展示してあったのだが、特に興味を引いたのが、
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「身幹儀」と言われる、江戸時代に製作された木製の骨標本で、国の重文。
広島城下の医者である星野良悦が完成させたことから、星野木骨とも言われる。
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各骨が個別で制作されており、驚くほど精巧で、江戸に持参した際に杉田玄白に絶賛されたという。

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11号館の昭和33年に写真。

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資料室には、大久野島の毒ガス関連のコーナーも少しではあるがあった。

廃線の宇品線の形跡が近くの公園に残っているので、立ち寄ってみた。
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南段原駅が公園化していた。

今度は宇品港周辺の糧秣支廠関連を探索に行こうと思う。
nice!(61)  コメント(2) 
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コメント 2

toshi

身幹儀、木製の骨標本、面白いですね。
初めて見ました。
by toshi (2017-01-16 02:21) 

ガンビー

>toshiさん
私も初めて見たし、あまりの精巧っぷりに、
本物かと思いましたよ。
by ガンビー (2017-01-16 22:08) 

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