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伝加藤清正が築いた石垣が圧巻 満舟寺 [寺/神社]

広島県呉市、瀬戸内海にある大崎下島には御手洗町並み保護地区という、江戸風情を残した町並みが残っている。
テレ東の不定期な番組で「充電させてもらえないですか?」という出川哲郎が、電動バイクで途中途中でお店とかにバッテリーの充電をさせてもらいながら旅をするというのがあり、ある回で「今治~厳島神社」までを旅したときに、この町並みに立ち寄ったことで知り、帰省した際に行ってみた。

この港は、江戸時代の廻り船が風待ちや潮待ちするときに立ち寄ることで栄えた町で、明治以降の陸路輸送の発達共に港としての機能は失われたが、戦後の経済発展の中にも残されたおかげで、都市開発の波にのまれることなく、タイムカプセルに入っていたかのように、今に至っているわけだ。

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町並みはこんな感じで、タイムスリップしたよう。
アニメの「ももの手紙」や「たまゆら」にも登場し、そちらの聖地にもなっている。

その中で気になったお寺を紹介するよ。

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満舟寺(まんしゅうじ)。
この城のような石垣が印象的だ。

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豊臣秀吉の四国平定の際に、加藤清正に石垣を整備させたと伝わっている。
寺は、平清盛が上洛する際に嵐に会い、この地で観音様にてを合わせたところ、嵐が止んだとのことで、その観音様を安置して草庵が作られたのが始まりという。
寺として体裁が整ったのは、享保年間で、藩から寺として許可が出たのは寛延年間とのことだ。
もとは観音堂があるところに、水軍の出城っぽい感じで整備されて、出城として機能がなくなってから、寺として再整備されたのだろう。

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参道は最後に90度曲がっているのだが、桝形のようだ。

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観音堂。
こちらの扁額は、琉球使節の中山楽士の梁光地が江戸上りで寄港した際に書かれたもの。
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琉球使節の使者たちは、琉球でも学のあるものが人選されており、書に長けた者も多かったと思われる。
江戸上がりの琉球使節団だけでなく、朝鮮通信使もこちらで、潮待ちをしていたらしいので、寄港時にはさぞかし賑やかだったことだろう。

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境内には、亀趺墓が2基あった。
基部の台座に亀の石像のある墓で、大名墓以外では珍しい墓。
この亀は霊亀で、ちょっとかわいらしい感じです。

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観音堂の左側にある三社神社。

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観音堂の右側に荒神社があるのだが、入り口付近が土砂崩れで立ち入り禁止になっていた。
こういう場合、入らないことにしているので、一礼し後にしました。

アニメでは、石垣の手前にある「通学路」の標識が有名なのだが。。。。
後で知ったので、撮影していませんでした。。。。。
タグ: 広島県
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コメント 2

toshi

立派な石垣ですね。
平清盛の頃にできた観音堂が
寺として整備されたのは江戸時代なんですね。
by toshi (2016-08-17 05:14) 

ガンビー

>toshiさん
道端の地蔵堂のような感じで、観音堂だけがあったんでしょうね。
元は海に面していたようで、その際に水軍の砦として使われていたようです。それもあって、四国攻めの際に整備されたのかもしれません。
江戸になり、砦としての役目が無くなったので、寺となったのだと思います。
by ガンビー (2016-08-17 23:17) 

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