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聖光寺(広島県広島市) [寺/神社]

国前寺より東方向に道なりに進み、ちょっと小高いところに聖光寺がある。
この聖光寺は、昭和50年に2つの寺が合併してできたもので、山号の広島山は元々この地にあった広島山瑞川寺の山号である。
聖光寺は、1394年に加茂郡豊栄町に悦堂常喜禅師が開基し、七堂伽藍は配し、塔司12ヶ寺を擁する大寺院であったが、2度の火災の後、福島正則の要請により1624年に広島市中区小町に移転。昭和20年に原爆により全堂宇が焼失。
一方、瑞川寺は、広島では最古の寺の1つであり、毛利輝元が広島城を築城するため広島に来て、二葉山に登って土地を検分した際、この寺に登り、この辺りの地名を広島と改め、この寺に広島山の山号を贈ったという。
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平成10年に建てられた山門。戸部分が広い、三間一戸の2階建のコンクリ山門。
説明板によると二階には十六羅漢像が安置されているとのこと。木像の山門ならともかく、コンクリの山門なら2階に登らせて、羅漢像を参拝できるようにしてもいいのでは。
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布袋様。
二葉山山麓七福神の一つ。
七福神巡りをしたわけではないが、気づけばほぼ廻っていた。
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四国八十八ヶ所ミニ霊場。
境内には石仏をはじめ様々なものがあるのだが、堂宇が少ない為か、広々と置かれている。
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境内社の増輝稲荷の狛犬。
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大正期くらいの作だろうか。
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増輝稲荷の前にある、享保16年作の手水鉢。
盥漱石は「かんそうせき」と読み、かんそうとは、手を洗い口をすすぐこと。手水鉢の別名だ。ちなみに夏目漱石はこの盥漱石からとったペンネームである。
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増輝稲荷の祠。
増輝の輝は、毛利輝元からきてるのだろうか?
そんな気がする。
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駐車場の周りには十六羅漢の石像が置かれている。
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昭和58年再建のコンクリ製の本堂。
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本堂前の庭園に作られている、判じ文字。
「吾唯足知」と古銭を模して作られている。
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やたらカエルグッズが多い寺である....
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赤穂浪士の大石内蔵助親子の供養塔....と言いたいが、こちらは無縁供養塔。
この供養塔の左隅にあったようだ。寺内の案内板はちょっとわかりづらいょ....
赤穂藩浅野家は広島藩の分家筋で、赤穂浪士討ち入り後、寺坂吉右衛門が仇討成就の知らせと共に大石内蔵助父子の遺髪を持ち帰り、浅野家の菩提寺国泰寺に葬ることを申し出たが、科人という理由で断られ、瑞川寺に葬ることになったと伝えられている。
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鐘楼。
蟇股の彫りが誰なのかわからない。
コレ 
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約3mの金ピカの子安観音像。
基壇部は横から入れるようになっており、その空間は裏観音堂となっている。(写真を撮り忘れた)
寺内は比較的新しいものばかりだが、毛利期以降の広島の町の移り変わりを見続けてきた寺と言える。

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